完全に俺は“ついで”の立ち位置で、二人が楽しそうに話をしているのを横目に肉を摘んでいる。どうやらなぎさは彼氏とケンカしたことを姫乃さんに愚痴っているようだ。どうせなぎさが自分勝手なことを言って揉めただけだろうと冷めた目で見ていたら「お兄ちゃんは黙ってて」と冷たくあしらわれた。姫乃さんはなぎさのくだらない話にも、うんうんと同意して真面目に話を聞いている。喋りまくるなぎさの取り皿に、焼けた肉や野菜も取り分けてくれる面倒見の良さ。「ほーんと、やってらんねー」「そうだね。やってられないね」言葉悪く悪態をつくなぎさに対して、同意しているのに優しさが滲み出る姫乃さん。妹も少しは姫乃さんを見習ったらいいのに。そんな姫乃さんは「でも……」と頬を押さえる。「羨ましいなー。そんなケンカしてみたい」完全に憧れの眼差しだ。ケンカのどこに憧れを抱くのかわからない。さすがのなぎさも、「いや、むかつくだけだからやめた方がいいですよ」と全力で否定する。「なんていうか、自分のためにヤキモチ妬いてほしい。そういう経験したいなーってこと」「姫乃さんないの?」「ないの」「まあ、姫乃さん優しいからなー」「俺はいつも嫉妬してるけどね」肉を食べながらぼそっと呟く。二人の目線が一斉に俺を認識した。今まで空気だったからか、キョトンと具合が半端ない。「嫉妬? 何に?」「姫乃さん会社で人気だからさ、いろんなやつがあの手この手でしゃべろうと試みてるわけ。それを端から見てる俺の気持ち」「それのどこがヤキモチ?」コテンと首を傾げる姿も、純真無垢すぎて笑いがこみ上げる。どうしてこの人はこんなにも鈍感なんだろう。「こういうことだ、なぎさ。わかるか? 姫乃さんは鈍感なんだ」「ちょっと、鈍感って失礼な」プンスカ抗議してくるけれど、これにはなぎさも俺に同意した。めちゃくちゃ憐れむような目で肩を叩かれる。「お兄ちゃん、まあ、頑張れ」「気長に行くよ。ね、姫乃さん」未だによくわからないといった姫乃さんは、「うん? お肉追加する?」と会話が斜め上の方向だ。まあ、それが姫乃さんらしいっちゃ、らしい。
帰りがけに寄ったスーパーで、姫乃さんは肉やら野菜をカゴに入れる。どうやら家で焼き肉をすると、なぎさと約束したらしい。だからって、姫乃さんが買い出しに出向くこともないだろうに、お人好しというかなんというか。でもまあ、姫乃さんとスーパーで買い物も、悪くない。どの肉の部位が好きかとか、野菜は何を焼こうとか、そんな食材の話で盛り上がるのが地味に楽しい。パンパンの買い物袋を量手に下げて帰ろうとするので、慌ててひったくった。こんな重いもの、俺に持たせておけばいいものを、すぐに全部自分でしようとする。「持つよ?」「いいから」「えへへ、ありがとう」ニコっと笑った姫乃さんの顔が見られるだけで、得した気分になる。なんて単純なんだろう、俺。アパートの前ではなぎさが待っていて、こちらに気づくと「姫乃さーん」と笑顔で手を振る。そして俺を認識したとたん、あからさまにしかめっ面になった。「なんでお兄ちゃんもいるの?」「姫乃さんが焼き肉にするっていうから。俺も食べたいじゃん」ていうか、むしろこっちが「なんでなぎさがいるんだ?」と文句を言いたいところだ。姫乃さんの手前、ぐっと堪える。なぎさはすでに俺のことは眼中にないようで、姫乃さんにくっついている。ずいぶんと懐いているものだ。「家で焼き肉って、臭い大丈夫?」カーテンやソファに臭いが付くのを心配したのだが、なぜか姫乃さんは待ってましたとばかりに瞳をキラキラさせる。「えへへ、じゃじゃーん! 煙でないくんってホットプレート買ったの」なんだそりゃ、と思ったのは俺だけで、なぎさは 「あー、知ってる! 今話題の!」と大はしゃぎだ。「使ってみたかったんだー。でも一人だと何だかなぁって思って。やっと日の目を見ることができた。なぎさちゃんありがとう」よっぽどそのホットプレートが使いたかったのか、姫乃さんは満面の笑みで箱から取り出して準備を始めた。確かにホットプレートって、一人じゃなかなか使わない。一人で焼肉も、なかなかしないよな。「やったー! 焼肉パーティー!」「ね、パーティーだねっ! ビールもあるよ」「飲む飲む! やったー!」姫乃さんとなぎさがキャピキャピしている。実に楽しそうだ。妹が姫乃さんと仲良くしてることが嬉しいようで、ちょっと悔しい。
なぎさちゃんの左手の薬指にはキラリと光る指輪がはまっている。実は出会った時から密かに気になっていたのだいけど、やっぱりそういうものって彼氏にもらったのだろうか。「ねえ、なぎさちゃんの指輪って、もしかして彼氏にもらったの?」「もらったというか、一緒に買ったペアリングだよ」「ペアリング! なんて素敵な響き!」その言葉を聞いただけでうっとりしてしまう。 私にとって、ペアリングなど夢のまた夢だ。結婚指輪ではなく、まだ恋人同士のうちにお互い指輪をはめるなんて、憧れでしかない。いつか私もペアリングをはめたいなぁ。そんな欲望がムクムクとわき上がる。そんな気持ちのなか、自分の右手を見た。私の右手の薬指には、細身の指輪がはまっている。これは正真正銘、ただのおしゃれリングだ。入社三年目のとき大きなプレゼンをしなくてはいけなくなり、『右手の薬指に指輪をすると緊張が和らいで上手くいく』というおまじないを真に受けて付け始めた指輪だ。そのおかげかどうか、プレゼンは上手くいったものの、『朱宮姫乃には彼氏がいる』と誤解されるきっかけにもなったいわくつきの代物。おまじないを信じたせいか、なんとなく外しずらくなり、今でもファッションとしてはめているのだけど。もしかしてこの指輪を外せば、わざわざ彼氏と別れましたと言わなくても、『朱宮姫乃は彼氏と別れた』と察してもらえるのではないだろうか? これって名案なのでは?!試しに指輪を外してみる。何もなくなった手はすっきりとし、なんだか軽くなった気がしてすこしそわそわする。右手も左手も、アクセサリーはなにもない。いつか左手の薬指に指輪をはめることができたら、どんなに幸せだろう。憧れがまた一層大きくなる。「ねえ、椎茸焼いていい?」「あ、はいはい、今焼くね」はっと現実に戻される。妄想していたことに、頬が緩んでいなかっただろうか。慌てて気を引き締めて、椎茸を焼くことに集中した。
「ところでお兄ちゃんのカバンについてるこれ、何?」なぎさちゃんが手に取るそれは、今日博物館で購入した金色に輝くストラップだ。「金印」「なんで金印っ!?」「漢委奴国王印の特別展に行ったから」「はい?」さっぱりわからないといった顔でこちらを見るので、何だか可笑しくて笑ってしまった。「私が行きたくて、博物館についてきてもらったの」「今日二人で出掛けてたの?」なぎさちゃんが私と樹くんを交互に見る。すると樹くんがあからさまにチッと嫌そうに舌打ちをする。「そうだよ、このお邪魔虫め」「ごめーん」なぎさちゃんは手を合わせてごめんなさいのポーズをした。 私は自分のカバンも手繰り寄せてなぎさちゃんに披露する。「私も付けてるんだよ。お揃いなの。可愛いよね」手のひらに収まるサイズの金印。 キラキラ輝くそれは、レプリカなのに昔の息吹が感じられてとても素敵だ。「なんていうか、金印よりも姫乃さんが可愛い……かな」「わかる」なぎさちゃんと樹くんは顔を見合わせて力強く頷いた。「えっ、なに? 私わかんないんだけど。兄妹で納得し合わないでくれる?」首を傾げてみるも、「わからなくていいです」と取り合ってくれない。 金印可愛いのに、この魅力がわからないなんて、ちょっとばかり残念だ。
ホットプレート『煙出ないくん』からは、ジューっといい音がし、お肉の焼けるいい香りが漂う。私はトングでお肉をひっくり返しながら、なぎさちゃんに聞いた。「で、今日はどうしたの?」「彼氏とケンカしたの」「ケンカ?!」樹くんのため息が聞こえたような気がしたけれど、ここは女同士の会話、ひとまず無視をして進める。「卒業旅行しようって言われたんだけど」「わあ、素敵!」「うん、それ自体はいいけど、私は友達とも行きたいし約束してて、彼の都合と友達との旅行の日付が被るんだよね。で、俺より友達かよみたいな。いや、友達とのほうが先約なんですけど? っていうケンカ」「確かにね、先約優先よね」「でしょ。もーむかつく」なぎさちゃんは頬杖をつきながらダルそうに愚痴をこぼす。やってらんねーと悪態をつきながらお肉をモグモグ頬張った。「でも羨ましいなー。そんなケンカしてみたい」「いや、むかつくだけだからやめた方がいいですよ」私が羨ましがると、全力で否定してくるなぎさちゃん。だけどそういう悩みって、やっぱり彼氏がいるからできることだと思う。「なんていうか、自分のためにヤキモチ妬いてほしい。そういう経験したいなーってこと」「姫乃さんないの?」「ないの」「まあ、姫乃さん優しいからなー」「俺はいつも嫉妬してるけどね」黙々とお肉を食べていた樹くんが突然会話に参加し、私は首をかしげる。「嫉妬? 何に?」「姫乃さん会社で人気だからさ、いろんなやつがあの手この手でしゃべろうと試みてるわけ。それを端から見てる俺の気持ち」「それのどこがヤキモチ?」「こういうことだ、なぎさ。わかるか? 姫乃さんは鈍感なんだ」「ちょっと、鈍感って失礼な」抗議の声を上げるけれど、なぎさちゃんまでしっかりうんうんと頷いている。そして樹くんを憐れむように、ぽんっと肩に手を置く。「お兄ちゃん、まあ、頑張れ」「気長に行くよ。ね、姫乃さん」「うん? お肉追加する?」よくわからない兄妹の会話についていけず、私は煙でないくんにお肉を追加した。
帰りがけにスーパーに寄ると、食材の入った袋を樹くんがささっと持ってくれる。 そして歩道の内側を私、外側を樹くんが歩く。 そんな些細な優しさも、私は内心嬉しくてたまらない。アパートの前ではすでになぎさちゃんが待っていて、「姫乃さーん」と手を振ってくれている。私もパタパタと振り返す。「なんでお兄ちゃんもいるの?」「姫乃さんが焼き肉にするっていうから。俺も食べたいじゃん」さも当然かの如く言う樹くんに、なぎさちゃんの不満顔が炸裂した。あからさますぎて思わず苦笑いしてしまう。みんなで食べた方が楽しいと思ったんだけど。「でも家で焼き肉って、臭い大丈夫?」スーパーで買った食材を袋から出しながら、樹くんが心配そうに聞いてくれる。だけど、私は待ってましたとばかりに、棚から大きな箱を取り出す。「えへへ、じゃじゃーん! 煙でないくんってホットプレート買ったの」掲げて見せると、なぎさちゃんの目が輝き、指をさして叫んだ。「あー、知ってる! 今話題の!」「使ってみたかったんだー。でも一人だと何だかなぁって思って。やっと日の目を見ることができた。なぎさちゃんありがとう」テレビで紹介されているのを見ていいなぁと衝動買いしたはいいけれど、なかなか一人で焼肉をする機会がなく今まで封印されていた『煙出ないくん』、ようやく使うときがきた。「やったー! 焼肉パーティー!」「ね、パーティーだねっ! ビールもあるよ」「飲む飲む! やったー!」なぎさちゃんがテンション高く喜び、そんな姿を見ていた樹くんは困ったように眉を下げて笑った。なんだかんだ、妹のことが気になってしかたないみたい。優しいお兄さんなんだな、樹くんって。